新世纪大学日语第四册 第五课本文Ⅰ、Ⅱ

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本文Ⅰ 日本人の好きな言葉



あなたに好きな言葉は?そう聞かれたら、なんと答えますか。そして、日本人の好きな言葉は?ときかれたら……

調査によると、それは、一つの言葉に集中した。<努力>である。NHKが実施している「現代人の言葉の環境調査」では、この20年近く、その首位は動かない。面接して、自由回答してもらう調査で、最近では、この春実施した。<努力>が他を引き離してトップで、<ありがとう><誠実><思いやり><愛><夢>と続く。

相変わらず日本人は勤勉だ。そう考えて心強くも思う。ただ、<努力>に続く好きな言葉が「ソフトクリーム」状のフワリとした言葉なのは、この時代を映しているかもしれない。1979年調査では2位の<忍耐>、5位だった<根性>が今年の調査では大きく後退していることからも、そう指摘歯できよう。 皮肉な見方もできる。常に上位を占める<努力>と<誠実>は、一方で役人や政治家からいやというほど聞かされる言葉だからだ。「努力いたします」「誠実に対処いたします」の決まり文句である。「誠実に努力いたします」といった答弁には、いつも不誠実のにおいがする。

社会学者M・ウエーパーを引くまでもなく責任倫理にかかわる。努力するのは当然である。肝心なのは、結果を出すことだ。その上で結果の責任を引き受ける。また、誠実であるからといって、すべてが許されるわけではない。誠実さが裏目に出ることがしばしばある。<努力>や<誠実>が、往々にして口実に使われがちなこの社会のあり方が気にかかる。 漫画は、時に率直さで批評する。「サザエさん」」にこんな場面があった。大物作家風の人物を尋ねてインタビューする。「お好きな言葉は?」と尋ねると、彼が答える。「安い、もらう、ただ。」こんな率直さが気持ちいいときもある。

本文Ⅱ 知った顔

十代の頃、地方へ出張に出かける父のカバンもちをして、駅まで見送りに行かされることがあった。

カバンといったところで、三、四日分の着替えである。大の男なら、片手で軽いのだが、父は決して自分でカバンを持たなかった。自分は薄べったい書類カバンをもち、どんどん先に歩いてゆく。

母か私、時にはが、後ろからカバンを持って、子供につくのである。今では考えられない風景だが、戦前の私のうちでは、さほど不思議とも思わず、きに一度や二度はそうやっていた。母に言わせると、お父さんは、威張っているくせに寂しがりだから、もって行ってあげて頂戴よ、という。 もって行くのはいいとして、なんとも具合の悪いのはプラットホームで汽車が出るまで待っているときであった。 父は座席に座ると、フォームたっている私には目もくれず、経済雑誌を開い読みふける。読みふけるフリをする。


ところが、出張から帰った父は、ことのほかご機嫌ななめで、母にこう言ったというのである。

「邦子は女の子のくせに薄情なやつだな。俺が帰ってもいい、といったら、さっさと帰りやがった。

そんなにいてもらいたいのなら、ニワトリみたいに人を追い立てることはないじゃないかと思ったが、口返答など思いよらないので黙っていた。 その次、出張のお供を言い付かったときは、私は父の窓から少し離れたフォームの柱のかげで、そっぽを向いて立っていた。父も、ムッとした顔で、経済雑誌を読みふけっていた。 発車のベルが鳴った。

父はますます怒ったような顔になり、私の方を見た。 「何だ、お前、まだそんなところにいたのか」 といい顔である。 私も、ブスッとして父の方を見た。戦前のことだから勿論手などは振らない。 ただ、ちょっと見るだけである。現在、ホームドラマの一シーンとして、この場面を描いたら、この父と娘は何か確執があると思われるに違いない。 夕方になって雨が降り出すと、傘を持って駅まで父を迎えに行かされた。と違って駅前タクシーなどない時代で、改札口には、傘を抱えて奥さんや子供が、帰ってくる人を待って立っていた。 父に傘を渡し、後ろからくっついて帰ってくる。父は、受け取るとき、「お」というだけである。

ご苦労さんも、何もなかった。帰り道も世間話し一つする出なく、さっさと足早に歩いていた。

あれは、確か夏の夜だった。

父の帰ってくる時間に、物凄い夕立が来た。私は傘を持って駅へ急いだ。く行かないと間に合わない。うちの父はせっかちで、迎えが来ると判っていても待たずに歩き出す性分である。当時、うちは東横線祐天寺駅のそばだったが、いつもの通り、近道になっている小さな森の中の道を小走りに歩いた。 街灯もないので、鼻をつままれても判らない真っ暗闇である。 向こう側から、七、八人の足音がする。帰宅を急ぐサラリーマンに違いない。 もしかしたら、この中に父がいるかもしれない。しかし、すれ違っても、顔も見えないのである。仕方がない。私はすれ違うたびに「向田敏雄」「向田敏雄」父の名前を呟いた。 「馬鹿!」

いきなり怒鳴られた。

「歩きながら、親父の名前を宣伝して歩く奴があるか」 父は傘をひったくると、いつものように先に歩き出した。 後で母は、

「お父さん、ほめてたわよ」

という。あいつはなかなか気転の利く奴だ、と言って、おかしそうに笑っていたという。


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